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産経抄 (10/02 ) 

産経抄 (10/02 08:30)

細長い帯状の紙の両端を糊でつける。むろん普通の輪ができる。今度は紙を一度ねじった上で、同じように両端を結び、これに小さな虫をはわせてみる。すると最初は表をはっていた虫が、いつの間にか裏に回っており、また表に戻る。

 ▼幾何学で「メビウスの帯」と呼ばれる表裏を決められない曲面のことだ。ねじれた論理の例えに使われることもある。一昨日、小泉首相の靖国神社参拝を「憲法違反」とした大阪高裁の判決もさしずめ「メビウスの帯」であるような気がする。

 ▼判決は首相の参拝を明確に違憲と言っている。ところが主文では、違憲を理由にした原告の損害賠償請求を退けた。いったい何のために憲法判断をしたのかわからない。国にとって、主張は退けられたのに、裁判自体は勝訴で上告もできない。ねじれ判決である。

 ▼判断はもう一つの意味でもねじれている。前日の東京高裁は、参拝について憲法判断は避けたものの「私的なもので違憲論は前提を欠く」と言い切っている。これでは、昨日まで表を歩いていたつもりが、今日は裏を歩かされているようなものだ。司法の信頼性にもかかわる。

 ▼そういえば、同じ日の朝日新聞社長の記者会見もおかしかった。NHKの番組改変報道について、取材が不十分で、記事に不確実な情報が含まれていたことを認めた。それなら、記事としては明らかに欠陥商品である。にもかかわらず訂正も謝罪もしないという。

 ▼その朝日が大阪高裁の判決を受けた社説で「司法の判断が分かれた以上、参拝を強行すべきではない」と書いた。しかし、司法の判断が分かれたら首相自身が決めるしかないというのが普通の論法だ。いずれもどこかでねじれて、いや、ねじっているとしか思えない。


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平成17(2005)年9月15日 産経抄 

平成17(2005)年9月15日 産経抄

 君子は豹変(ひょうへん)するものである。だから、郵政民営化に反対したキーマン、中曽根弘文参院議員の変わり身には驚かない。「民意を尊重する」と法案賛成に回るのは結構なことだ。中曽根氏の父君は風向きで変わる「風見鶏」と言われても柳に風だった。

 ▼淑女も同じで、無所属で当選した野田聖子氏が「反党行為はできない」と小泉純一郎氏を首相指名することもまた重畳だ。小泉首相を「選挙の天才」と褒めちぎるのも、除名回避への処世だろう。紳士も淑女も、長いものに巻かれる我ら凡夫を映す鏡だ。

 ▼当の小泉首相にして軌道修正の名人である。小選挙区制にもっとも反対したはずが、「刺客作戦」などとこの制度をうまく使って民主党を圧倒した。靖国神社参拝でさえ、八月十五日と例大祭をずらしての参拝だ。道路公団も年金も、抜本的な改革のようでそうではない。数歩の前進で大きく踏み出した印象は残る。中身に不安でも、せめて本丸の郵政改革では、信念を貫けと多くが一票を投じた。

 ▼政治に離合集散はつきものだし、裏切り、寝技ありの権力争奪ゲームだ。郵政改革の反対派の中には、拉致事件の解決に熱心だった議員や、怪しげな人権擁護法案に反対した議員がいる。彼らのうちの幾人かは、自民党からはじき飛ばされたままなのが惜しい。

 ▼首相は権力基盤を固めたいま、今度は統治の度量が問われることになる。漢の高祖、劉邦は項羽を倒して権力を握ると、同じ釜の飯を食った配下の実力者を排除して権力を固めた。

 ▼だが、日本の政治風土は「両雄並び立つ」ことを好む。自民党内にあって御三家、四天王が、ともに競い合うことを習いとした。ただ、東西横綱の一翼が期待される民主党の凋落(ちょうらく)が気になる。



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